忘れない

いつだったか先月の中頃だっただろうか?
「どぉーん」というすごい地鳴り。「えっ!」と思った瞬間グラッと、揺れがきた。
地震だっ!?そのとき、「今は、まだ来ないで!!」と、心の中で叫んだ
「東北が、もっと立ち直ってからにしてください。
今また震災が起これば、もう日本はだめになってしまう・・・」


被災地は、今もなおたいへんな状況が続いています。

その大変さを「解る」なんて、簡単には言えないというか、
簡単に言うことが失礼な気がする。

でも大変さを、解ろうとする気持ちもあるし想像することも出来ます。

あるブログのコメント欄に紹介されていた、仙台地方紙に
載せられた寄稿分です。



被災していない私自信が、心に留めておくためにも、引用の引用になりますが
ここに控えておきたいと思います。

少々長くなりますが、よかったら読んでみてください。

                      
仙台市在住の直木賞作家 熊谷達也氏が、地元紙に寄せた文章です。

『3月11日の巨大地震と大津波以後、「想定外」あるいは、
「想定を超える」という言葉が、この国ではどれだけ飛び交ったことか。
メディアを通してそれを耳にするたびに、最初から私は腹が立って仕方なかったし、
いまだに腹立ちは続いている。
                          
沿岸部の被災地の人々は、あるいは、私を含め、東北に生きることで同じ痛みを抱え、
困難な未来を共に引き受けようと覚悟している者は、誰一人として「想定外」という言葉は
口にしていない。たとえ確かにそうだと思っていても、目の当たりにした数々の光景は
そんな簡単な一言でかたずけられれはずがなく、無言を貫くか、懸命になって違う言葉を
探そうとするかの、どちらかだ。
                                  
人間は何をどう想定しようと、人智をはるかに超えた力を、時に暴力という形で解き放つのが
自然だということを、私たち東北人は誰に教えられることなく知っている。
                             
だからこそ私たち東北人は、自然に対して謙虚に向き合い、その厳しさに耐えることを
当然として生き続けてきた。
                            
だから今回の震災に対しても、失ったもののあまりの大きさに嘆きこそすれ、恨むことはしていない。
ただ黙々とその日に出来ることをひとつずつ積み重ね、日常を取り戻すための辛抱をするだけだ。
                             
だが、内に抱える腹立ちや怒りを、今回ばかりは、遠慮せずに言葉にしてもいいのではないか。
それほど、東京を中心とした首都圏から発信される言葉は、下品なまでに卑しく、
あきれ果てるものが多いからだ。
                        
ここまで言葉に傷つけられ、それでも黙っていることは、もうできない。
今回だけは、東北人はキレていい。誰もキレなくても、私はキレる。
たとえば震災直後、大きな決断をしました、と言わんばかりに「2万人の自衛隊員を派遣する」と
発表したこの国の政府。その後すぐに「5万」と変更したと思うが、冗談じゃない。
被災地にいる我々は、2万はおろか5万だって全然足りない、最低でも10万は必要だと、
誰もが直感的に思ったはずだ。
                                      
メディアがこぞって原発事故ばかりを騒ぎ立てているあいだにも、助けようとしたら
助けられたかもしれない命が、瓦礫の下でどれだけの数、失われていったことか。
暴走しようとする原発を宥めるべく、現場に身を置き続ける作業員や自衛隊員、消防隊員には敬意を払う。
しかし、冷たい雪になぶられる瓦礫を、なすすべもなく見つめるしかなかった私たちには、
東京の放射線騒ぎや計画停電なんかどうでもよかった。燃料の尽きた底冷えのする避難所で
空腹を抱えていた被災者はもちろん、同じ寒風の下で幼い子供の手を引き、愚痴を漏らさず
何時間もスーパーマーケットに並んでいた仙台市民も、東京でのばか騒ぎに対して、いい加減にしろっ、
と心の内では吐き捨てていた。
                                
東京に電気を送るために、私たちは進んで原発を引き受けたのではない。
原発なんかなくとも暮らすことはできていた。
原発がなくては暮らせないように東北の村を作り変えたのは、首都圏のエゴイズムだ。
今度原発を作るときには、東京湾につくればいい。原発道路なんか、私たちには必要ない。
                                     
あるいは、今後は津波の来ない場所に町を再建すべきだと、訳知り顔で言ってのける者もいる。
                              
何度津波が来ようと、海のそばでしか暮らせない人々の、海のそばで暮らしたい人々の、
その気持ちが何故わからない。
いつも海を見ていたい人々の心の在り方に、どうして思いが至らないのか。
                              
もちろん、東京にだって、私たちの痛みを同じ視線で共有しようとしてくれている人々がいることを、
一緒に痛みを引き受けようとしてくれている人々が沢山いることを、私たちは知っている。
                                    
しかし、それを差し引いても、私の腹立ちが治まる気配は一向にない。「想定外」などという、
想像力のかけらもない安易な言葉に、これ以上傷つけられるのはもう沢山だ。』